似島について


1似島の現況

  似島は、面積4ku、周囲16q、広島港から南へ約5.5qのところにある小さな島である。
 島の東北部にある標高278mの山は、富士山に似て美しく”安芸の小富士”と呼ばれる島のシンボルとなっている。
 山頂からは、360度の景観が展望でき、広島市の街の様子を南から眺めることができる。
 人口 859人、世帯数521(平成27年6月末現在)で、その大部分が島の北西側の
 家下地区に集中しており南東側の大黄地区付近には少しの民家があるだけである。
 全島ほとんど山地で平地は少ない。
 かつては、山肌を畑にして、さつまいもなどをつくっていたが、昭和30年の前半からみかん畑にかわってきた。
 島の主な産業であった海砂採取が禁止されたため、かつての海運業の活況は今は見られない。
 他には、昔ながらのカキの養殖も続けられ、ナマコやタコ、メバル、チヌなどを対象とした沿岸漁業も行われている。
 主な公的機関として、小・中学校、保育園、似島学園小・中学校、似島臨海少年自然の家等の教育施設のほか南区役所似島出張所、似島公民館、環境事業所、郵便局、診療所、社会福祉法人似島学園、特別養老館併設の平和養老館、農協等がある。




2「荷の島」から「似島」へ

 似島は藩政時代、物資を輸送する船の繁船地であった。広島はデルタの街で遠浅のため大きな船が入れない。
 そのため、荷継ぎに似島が利用されていた。このことから「荷の島」と呼ばれていた。
  また島の形が富士山に似ていたことから、富士に似た島「似島」とも言われるようになったと伝えられている。
    中区に富士見町という町がある。かつてここに川が流れており、そこに橋がかかっていた。この橋から見る  似島の形が富士山に似ており、美しい姿として人々の目に映っていた。
  このことからその橋を富士を見る橋、「富士見橋」と名付けてそのあたりを富士見町と呼ぶようになった。
    このことからわかるように、似島は古くから広島に住む人々に美しい憧れの島として親しまれてきたのであ る。
                                     平末郁馬著 似島小史より